水草

 究極の身内ネタ

ミュージカル刀剣乱舞 静かの海のパライソを急遽まとめる

※ネタバレしかありません

 ”刀ミュの歴史観”に後ろから蹴り入れたみたいなこの公演が、たった7回しか日の目を見なかった。

 ならもう文字で残すしかない、とこんな埃かぶったブログにログインした次第。とにかく個人的にインパクト強かったことしか覚えてない上に、それが合ってるのか確かめる方法もほぼないけども。結構偏った内容になってます。

書いている本人もどんどん「こうだったっけ…」という気持ちになってるので、ふわっと読んでください。

 松井くん目当てで行ったはずなのに、書いてたら結局鶴丸多めになった。さもありなん。

 

 

なんとなくで分けました

 

  1回見ただけだとドーパミンでなにも記憶に残らん、という理由で二部については書いてません。書けないとも言う。松井江のソロがいきなり始まって大混乱した気がする。

 

以下、恐らく最低限「島原の乱」周辺について知っていた方が理解しやすいかと思います(教科書的な歴史事項についての説明は基本していません)

 

 あらすじ

 

今回の公演は事前に予想されてたとおり島原の乱に出陣する話。審神者に呼び出された鶴丸国永は、「頼みにくいことがあるのですが……」となにやら口の重い主から「次の戦場は島原の乱だ」と聞き出す。それだけでかなり渋い顔になる鶴丸。「編成は俺に考えさせてくれ」と鶴丸が集めたのが今回の5振り、倶利伽羅、浦島虎徹、日向正宗、豊前江、松井江。

 鶴丸を部隊長に早速出陣する6振りだが、直後に目の前で天草四郎が時間遡行軍に殺されてしまう。遺体からロザリオを外し自分の首にかけた鶴丸は、その場に居合わせた山田右衛門作も巻き込み、「自分たちで天草四郎の代わりを演じる」作戦を提案する。ちなみに松井は右衛門作の顔に見覚えがあるらしい。

 鶴丸、浦島、日向がそれぞれ天草四郎を演じ、鶴丸&大倶利伽羅、浦島&松井、日向&豊前&右衛門作で分かれる。目的は”一揆を起こすための民衆(キリシタンや百姓や浪人)3万7千人を集める”こと。浦島は持ち前の明るさで農民の支持を得て、日向は右衛門作によって「あの豊臣秀頼様の息子」だと仕立て上げられ、「パライソ」を合い言葉にそれぞれ順調に人を集めていく。

 幼い兄弟と出会い仲を深めていく浦島、「島原の乱」を知らない日向、過去に囚われる松井と、寄り添う豊前。前作”葵咲本紀”とは打って変わってとげとげしい雰囲気を纏い、一人冷酷に淡々と任務をこなす部隊長の鶴丸と、黙って付き従う大倶利伽羅。そして、とうとう刀剣男士たちが集めた3万7千人が死んでいく島原の乱が始まる。

 

 ・・・

 

 つまり、パライソ部隊の任務はなんなのかというと「3万7千人集めて殺す」正確には天草四郎が殺された時点で1万人くらいはいるので、男士が集めた数はもっと少ないものの、全部で3万7千人というのは間違いなく印象に残る―後述

 

 全てが終わり――つまり一揆反乱軍が全員死んだあと――鶴丸が空に浮かぶ三日月に向かって吠える。

「”歴史を守る上で、悲しい役割を背負わなければならない人物がいる”???」

「それって名前のある"人物"じゃなければいけないのか?歴史に名を残した人物だけが、歴史を作ったのか??」

「3万7千人連れていけよ!ただの数字じゃないんだ!!」

「連れて行ってやれよ!静かの海のパライソに!!」

 

 

 

 

各場面所感など

ストーリー順では無いです

 

 

事実真実

 行動を共にすることになる山田右衛門作一揆勢で唯一の生き残りです。しかし歴史の資料が語るには、一揆で副将を勤めたものの幕府側に寝返ろうとしたため本陣の牢屋に閉じ込められており、結果戦に巻き込まれず生き残った、という形らしいですね。つまり、最後まで抵抗していた一揆側の人間は文字通り全滅です。ここで一旦補足を入れておくと――といってもパライソ見て知ったパライソでの印象――山田右衛門作天草四郎という幼い少年を祭りあげて一揆まで持ち込んだ張本人、のような描かれ方をしている。ここのところが実際どの辺まで歴史的資料で裏付けされている事項なのか私は知らないのですが。

 パライソでは、降伏を提案する右衛門作は「自分から始めたんだから最後までやれ」と、鶴丸によって牢に入れられる。失意の右衛門作は「本当は俺はこういう気持ちだったんだ…」「こんな理由で一揆を起こしたんだ」「あんなことになるなんて」と心情を吐露し始める。この辺の細かい理由は覚えてません。意味が無いので記憶に残らなかったのかな。とにかく右衛門作的にも色々事情があったんよ!という主張です。個人的には”言えば楽になると思ってるんか”、という印象だった。

右衛門作が言うには「真実」を知ってほしい、と。しかし「真実なんてどうでもいい。事実だけでいい」と一蹴した鶴丸は、「お前以外は撫で斬り(※皆殺しの意)にされる、生き残るのはお前一人だ」と伝える。島原の乱」の事実一揆軍3万7千人が死んだということだけ。愕然とする右衛門作に鶴丸が去り際に放った一言、「右衛門作、長生きしろよ」

 ここの鶴丸は本当にぞっとする。怖い。

 この対右衛門作以外でも、部隊内で情報を共有しなかったり、かなりきつい/冷たい物言いをしたり、突き放すような態度をとったり等々、今回鶴丸はヘイトが自分に集まるように仕向けて動くので、終始得体がしれなくて、きみ本当に刀ミュ本丸の鶴丸……?となるんだけど、この牢屋でのひとことは格別。詳しくは後述するが、島原の乱というのは本当にどうしようも無く絶望の戦いだ。なので、「悪意をぶつけてもいい敵」が必要だと鶴丸は考えたんじゃないだろうか。この鶴丸のヘイト集めについては見る人によって受け取り方が変わると思うし、私ももう一度見たら「あれ違ったな」と思う可能性は充分にある。

でも、怖いだけではなく、自分が憎まれ役になることでこの絶望の戦の全てを一人で抱え込むつもりの鶴丸はとても強くて、つまり刀ミュ哲学に則ると「強いということは悲しいということ」。ぽっきり折れてしまわないか見ていてハラハラする。倶利伽羅が黙って彼の傍にいることの意義については、多分伊達班のオタクさんたちが色々書き残してくれているはず

 

 

「静かの海のパライソ」

 さぁ3万7千人集めろ!!と言われ、どうやって??と戸惑う浦島/日向に、鶴丸「困った時はパライソって言えばいい」という助言をする。そしてそれを元に二振りは、何かお言葉を!と迫られた際などに「パライソ!」と叫ぶ。民衆はそれをありがたがり、浦島や日向に着いていった。

 ポルトガル語で天国・楽園という意味があるキリシタン用語の「パライソ」は、作中で色々な人が色々な意味を込めて口にする。民衆の心を掴むため、救いの地の象徴として、殺戮の合い言葉として、人を殺す免罪符として。

 しかし、あらすじのラストに書いた鶴丸の台詞のように、やっぱり目指すべき「楽園」として人々の心を救ってきた言葉である、というのは間違いない。任務中、鶴丸が三日月を見あげて大倶利伽羅にこう教えてくれる場面がある「月には海があるらしいぜ。静かの海っていうらしい」 

 葵咲本紀で三日月宗近による歴史干渉を知った時、明石国行は「すべてを救えないのなら、誰も救えていないのと同じだ」と言った。

 「島原の乱」の3万7千人は三日月宗近のやり方では救うことが出来ない。静かの海のパライソに連れて行くことができない。

 

島原の乱」の3万7千人

 画としてもかなり残酷なシーンのひとつである、終盤一揆の反乱軍が死んでいく場面。なんだかんだ刀ミュの舞台上がここまで血の赤で染まっていたことって、過去無いだろうと思う。

 一揆に参加してくれる人を集めている最中に、浦島は幼い二人の兄弟と出会う。彼らのソプラノの歌声が苦しげに響く中、どんどん殺されていく一揆軍の農民たち。血にまみれ叫び声を上げながら息絶えていく様が生々しくて、なんでこんなエグいものを見せられているんだろう、と意識が遠く。子どもがいるのが本当につらい。

 浦島は普段兄達に可愛がられているからか、一揆が始まる前から兄弟を気にかけよく構いにいくのだが、どうやら二人は両親が一緒では無いらしいと知る。「パライソに行けばおっかぁに会えるんだって!!」と言う弟に「よし!俺がおっかぁを探してやるからな!!」と笑う浦島。しかし、話が進んでいくにつれ、母親は一揆に加わらなかったことが原因で一揆軍に殺されたのだ、ということが兄の告白によって判明する。だから兄弟は一揆に参加している。自分が殺されないため、弟を殺させないため。

  このようなことは他でも起きていて、例えば「異教徒は敵」とお坊さんたちが殺され、(日向扮する)豊臣秀頼様の息子を信じないとは何事だ!!と小競り合いが起き、そのまま殺し合いに発展する。ちなみにこの時に農民たちが口々に叫ぶ言葉も「パライソ」。パライソを合い言葉に集まった一揆軍は、パライソを合い言葉に暴走していく。

 つまり、この辺のシーンで一揆側も”純粋な被害者で正義の集団”というわけではない、ということが分かるのだが、全てを「なんでもない」顔で流し、どうにかしなければと焦る浦島や日向を冷たくあしらい、部隊内でヘイトを集め続ける鶴丸みほとせでの石切丸がどうなったのかを知っている大倶利伽羅は、鶴丸に「一人で抱え込むな」と諭す。でもきっと大倶利伽羅の存在が支えになっていたことってあると思うな。少なからず。冒頭で「部隊は自分で編成する」と言った鶴丸ですが、梅干し作りをしていた日向と浦島を”任務だ”と呼びに来るのは大倶利伽羅。つまり、早い段階で大倶利伽羅は今回の部隊に組まれていたのでは?と想像

 

 さて、上記の幼い兄弟の曲以外にも、パライソではアンサンブルの方たち演じる農民や浪人たちによるミュージカルナンバーを聞く場面がいくつかある。とくに、幕が開いて最初に農民たちが歌っていたインパクトは絶対に忘れないなと思っていて、それはやっぱり刀ミュでアンサンブルのひとたちだけで歌っていたのを初めて見たから。”ミュージカル”の光景だった。

 刀ミュはこういうことやりたいんだな、というのがよく分かる幕開けだったと思う。先述の幼い兄弟や、若者からお年寄り問わず、そういう普通の農民たちが力強く歌う様は、レ・ミゼラブルで革命を起こそうと政府軍と戦う青年たち、労働者たちが希望と決意を胸に歌う「民衆の歌」を彷彿とさせる。彼らは結末も似ている。

 ミュージカルの”ミュージカルナンバー”というのは、感情の隔離に使われる。と大学の講義で習ったけど、あの講義は難しすぎていまだにしっかり理解できていない私にも、刀ミュの言いたいことは分かる気がした。「3万7千人は、数字じゃない」からだ。舞台装置でもないし、感情を持たない駒でもない。だから彼らも彼らの感情を歌う。

 

  ”幕府に反乱したキリシタン”という印象の強い島原の乱だが――実際私もそうだと思っていた――一揆の反乱軍は実はキリシタンばかりではない。日向扮する「豊臣家のご子息」の元に集まってきたのは、浪人たちばかりだ。また、浦島の元へ集う農民も端から端までキリシタンというわけではない。さらに、一揆軍は先述の通り寺に攻め込んだり、農民同士で殺し合ったりもしている。逆に、幕府軍もまた「戦なんてやったことない」という兵たちばかり。向こうもこっちも、味方の中ですら一人一人違う人生と理由を抱えて武器を手にした者の集まりで、「最初から白黒はっきりつけられない戦(鶴丸)」である

  城が総攻めにあう直前、松平信綱という幕府側の総大将と鶴丸(天草四郎だと名乗って対面)が「なぜ戦をするのか」という話をする場面があって、この時鶴丸は「共有しにきた」と言う。「分かち合う」とか「諭す」とか、お互いを肯定/否定するものではなく、あくまで「共有」なのが大事なのだと思う。向かいあう幕府軍と反乱軍として、これからお互いにたくさんの人を殺す事への覚悟を共有しているだけ。最初から絶対的な正義も悪も存在しないこの戦に、肯定は必要ない。

 

松井江の話

 松井江は、刀だった頃に島原の乱幕府側の刀として振るわれた。右衛門作の顔に見覚えがあったのもそのせい。そして、右衛門作の身元を確認する際「この顔に見覚えは?」と、わざわざ松井に聞いた鶴丸ももちろんそれを承知している。

 その上で鶴丸は、ある程度一揆の反乱軍が集まったタイミングで幕府側に潜り込む調整役として、豊前江と松井江を指名する。つまり、鶴丸が2振りに命じたことは”最終的には幕府軍として島原の乱に参加し一揆軍を片っ端から殺せ”。そんなあからさまな言い方はしてませんが

 当然明らかにうろたえる松井江の様子に、鶴丸は知らない振りをする。松井江が結局何も言い出せず去った後、豊前江が鶴丸に言う。「あいつはキリシタンの血を吸った刀なんだぞ!」

 鶴丸「俺を鬼だと思うかい?」

 豊前「いや……むしろありがとな」「これは、松が向き合わなきゃいけないことなんだ」

 

  その後、結局幕府軍として城に攻め入ることになる松井。もちろんどうしても人を斬ることが出来ない。この時の松井江の殺陣が本当に痛々しくて、つらい。

 そんな松井の目の前に豊前がやってきて、彼の代わりにキリシタンを斬り殺す。ここで回想其の76『言えない過去』の再現シーンが。回想を見た時も”松井江が豊前に懐いてるっぽいのはこういうところからなんだろうな”、とは思った。でも前後のやりとりもあって改めて見ると、豊前江の光属性が本当に眩しい。まっすぐに全部受け止めようとしてくれる。彼のことを”戦隊ものの赤”って例えてる人がいて、めっちゃわかる~~て思った。

 豊前は、『言えない過去』の通り松井の前では「無理して教えてくれなくて良いよ。でも重いならそれ俺にも分けな」って感じの寄り添い方をする。でも、本人がいなくなってから鶴丸と上記のやりとりしてるんだよ。豊前江は優しすぎて、その優しさは間違いなく松井の救いになっていたけど、自分が松井にできない仕打ちを、憎まれてでもやろうとする鶴丸に対してありがとうと言える。男前すぎるな、豊前江。

 

 さて、観劇していた人の大多数がおそらく序盤から予想していた 「浦島に懐いていた兄弟が死ぬシーン

もちろんある。

 どうしても人を切ることができない、と苦しんでいる松井江の目の前に転がりこんでくる。この時のやるせなさったらない。まさか松井江にこの子たちを斬らせるのか……と恨むような気持ちにすらなった

 やっぱり躊躇してしまう松井江と、それに対して「目を逸らすな!!」と怒鳴る鶴丸。しかし、その直後に幕府軍がやってきて一瞬で兄弟は斬り殺されてしまう。松井江の目の前で。

 弟に被さるように死んでいった兄は、鶴丸が冒頭で天草四郎の死体から取り外したロザリオを首にかけられ、この歴史での天草四郎として戦場に横たえられる。これによって、「島原の乱」で重要なもうひとつの「事実」が守られた。”母親を殺した一揆軍に、自らの弟を守るため加わった少年”が真実だったとしても。

 なんとか息のあった弟は、戦場に紛れ込んでいた物部(例の三日月宗近の息がかかった人間)によって助けられる。ちなみにこの物部の彼、実は既にちょくちょく登場してたんだけど、名前あったっけな……記憶が……。

 そうして、さぁやることは終わりだとばかりにさっさと戦場を後にする鶴丸を、松井江が渾身の力でぶん殴る。鶴丸の「憎まれ役に徹する」が分かりやすく出ていた場面だと思う。鶴丸は、松井江にとって「”優しい人”である豊前江」も守った。

  でもこのあとの本丸の場面や、これより少し前にある信綱とのやりとりから、松井も「向き合わなければ」とは分かっているんだと思う。どうしようもなく武器である彼らは、鶴丸が劇中で言う台詞の通り「流した血から学ぶしかない」。まだ鶴丸のように強くなれなくても、豊前江のように全てを受け止める大きな度量でなくても、彼なりに一歩そのぬかるみから足を引き抜くきっかけになった出陣だったらな、と願います。こんなに辛い経験を二度もしたんだから。

 

 

浦島虎徹と幕末天狼傳

 これは私が幕末のオタクだから設けた番外編のような項目です。

 任務を終え、本丸に戻ってきたエピローグのような場面で、浦島くんが松井に教えてくれる言葉。


「"強いひとは、強くならざるをえなかったから強いんだ"って、蜂須賀兄ちゃんが言ってた」


 幕末天狼傳で、和泉守兼定蜂須賀虎徹に言った言葉だ。ちなみに松井江にとっての”強いひと”は言うまでもなく鶴丸国永。蜂須賀にとっての”強いひと”は長曽祢虎徹でしたね。

 蜂須賀、ちゃんと弟にもこの時の出陣についてお話してあげてたんだなぁ。面白かったのは、この後松井が「どうしてあんなに強くなれるんだろう」みたいなことを零した時に、「じゃあ鶴丸さんに聞いてみりゃいいじゃん!!」って言ったことで、”蜂須賀兄ちゃん”と性格の違いが出てて微笑ましかった。背中を押してもらう側なのか、押してあげる側なのか。

「だったら聞いてみりゃいいじゃねぇか!長曽祢さん、どうしてあんたはそんなに強いんだ!どうしてそんなに、悲しいんだってさ(和泉守兼定-幕末天狼傳にて)

 浦島くんは任務中もよく”兄ちゃん”の話をしてくれる。一揆軍の兄弟たちを気にかけている様子からも、普段弟である自分でも兄ちゃんたちみたいに!という気持ちをひしひしと感じる。
 そんな浦島くん、あるタイミングで「旅に出てる蜂須賀兄ちゃん」と言う。知らんうちに蜂須賀も修行に行ったんだろうか?刀ミュ本丸。冒頭でさりげなく鶴丸が「千子村正蜻蛉切が旅立ったそうだな」って言うから、ここ2人も行ってる。
だから、この本丸で修行に行った子達は暫定
 今剣、安定、堀川くん、兼さん、長曽祢さん、蜂須賀、村正、蜻蛉切
になるのかな…?一部隊余裕で組めちゃいますね。

 

 

 

強くならざるをえない刀たち。次の物語も楽しみにしています。

2021年秋、たくさんの人が彼らの戦いを見届けられますように。

 

 

 

 

 

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ちなみに見ることが出来たのは3月24日昼公演でした